睡眠の俗説検証
4時間で足りる体質は本当にある。でも、ほぼあなたではない
短時間睡眠でも元気な「ショートスリーパー」は実在します。ただしそれはDEC2やADRB1という遺伝子の変異を持つごく一部の人だけ。自称ショートスリーパーの大半は、ただ睡眠負債を溜めているだけです。論文と反証から検証します。
「眠らずに成功した人」に憧れて睡眠を削っていませんか。本当に短い睡眠で足りる体質は遺伝子で決まるごく一部だけ。まったく眠らなければ人もネズミも死に、「自分は平気」という感覚こそ睡眠負債のサインです。論文と反証から検証します。
眠らずに生きられる人間は、存在しません。「寝なくても平気」に見える経営者やアスリートも、実際にはどこかで眠っています。本当に短い睡眠で足りる体質は、DEC2やADRB1という遺伝子の変異を持つごく一部の人だけで、それでも「短い」だけであって「ゼロ」ではありません[1]。
それでも私たちは、つい「あの成功者は寝ていないらしい」という話に心を動かされます。睡眠を削れば、その分だけ自由な時間が増えるように思えるからです。本当にそうなのか、論文で確かめていきます。
結論から言えば、その多くは誇張された逸話です。
ナポレオンは3時間しか眠らなかった、エジソンは睡眠を「時間の無駄」と呼んだ——こうした話は有名です。しかしナポレオンの睡眠時間には諸説あり、エジソンは日中に何度も昼寝をしていたと伝えられています。「夜にまとめて眠らない」ことと「まったく眠らない」ことは、まったく別の話です。
日本でも、短時間睡眠で知られる人がいます。タレントの武井壮さんは、6年かけてたどり着いた眠り方として「45分の睡眠を1日3回に分けて取る(合計およそ2時間15分)」という分割睡眠を、インタビューやSNSで語ってきました。本人のX投稿では「45分で一般人の7時間睡眠と同じ長さのレム睡眠が取れる。それを1日3回取るから、計算上は21時間眠っている」とも述べています。
ただし、ここは科学的に整理が必要です。
短時間睡眠の体質は実在しますが、それは努力や慣れではなく、生まれつきの遺伝子で決まります。
2009年、ある家系からDEC2という遺伝子の変異が見つかりました。この変異を持つ人は、平均約6.25時間の睡眠で健康に過ごしていました[1]。2019年には別のADRB1という遺伝子の変異も発見され、4〜6時間で足りる体質が確認されています[2]。
つまり、本物のショートスリーパーでさえ、毎日きちんと眠っています。自分もそうかもしれないと思う人は、体質の見分け方をまとめた記事で詳しく検証しています。
眠れなくなった先に待っているのは、死です。これは比喩ではありません。
致死性家族性不眠症(FFI)という、極めてまれな遺伝性の病気があります。発症すると、眠ろうとしても眠れない状態が進行し、数か月から2年ほどで死に至ります[3]。
動物実験でも結果は同じです。ラットをまったく眠らせない実験では、平均2〜3週間で死亡しました[4]。
最も危険なのは、寝不足そのものではなく、寝不足に気づけなくなることです。
ペンシルベニア大学のVan Dongenらは、健康な人の睡眠を毎晩6時間や4時間に制限する実験を、2週間続けました[5]。
これが睡眠負債の怖さです。「平気だ」という感覚は、能力が回復した証拠ではなく、低下に慣れてしまった証拠であることが多いのです。寝不足が続けば脳には認知症のもとがたまり、その借金は週末の寝だめでは返しきれません。
日本人を対象にした研究も、この錯覚をはっきり示しています。
世界一眠らない国とも言われる日本では、「平気なつもり」の人ほど、実は足りていない可能性があります。
答えは「ほとんどの人にとって、削れない」です。
眠らずに成功したように見える人は、(1)本当はどこかで眠っているか、(2)逸話が誇張されているか、(3)ごくまれな遺伝子を持つか、のいずれかです。そのどれでもない大多数の人が憧れて睡眠を削れば、待っているのは集中力の低下と、寿命・脳・免疫へのダメージです。
自分にとって必要な睡眠時間が気になる人は、「8時間睡眠は必要」という神話や体質の見分け方もあわせて読んでみてください。
各論文の「主な結果」とあわせて、相反する結果や限界(反証)も併記しています。 集団タグは研究対象(日本人/欧米など)を示します。
結果DEC2(BHLHE41)遺伝子の変異を持つ家系は平均約6.25時間の睡眠で健康に過ごしていた。同じ変異を入れたマウスでも睡眠が短くなり、因果が確認された。
反証ごく少数の特殊な家系の発見で、一般の「短時間でも平気」を説明するものではない。この変異を持つ人は極めてまれ。
doi:10.1126/science.1174443 ↗結果ADRB1遺伝子のまれな変異を持つ人は、生まれつき4〜6時間の睡眠で十分という体質だった。覚醒を促す神経が活性化しやすいことが分かった。
反証これも極めてまれな変異。大多数の自称ショートスリーパーはこの遺伝子変異を持たない。
doi:10.1016/j.neuron.2019.07.026 ↗結果進行性の不眠と自律神経・運動の異常が現れ、最終的に死に至る病気を報告した。脳で睡眠に関わる視床が変性しており、眠れないことが命に関わると示した。
反証致死性家族性不眠症は極めてまれな遺伝性プリオン病で、健康な人の寝不足とは別物。一般の睡眠不足が同じ経過をたどるわけではない。
doi:10.1056/NEJM198610163151605 ↗結果完全に眠らせなかったラットは体温調節が乱れて体重が落ち、平均2〜3週間で死亡した。十分な餌があっても助からず、睡眠が生存に必須であることを示した。
反証人為的な完全断眠という極端な条件の動物実験で、人間の日常的な睡眠不足とは異なる。死因の解釈にも議論がある。
doi:10.1093/sleep/25.1.18 ↗結果睡眠を6時間や4時間に制限すると、注意力や反応速度の低下が日を追って蓄積した。ところが本人たちは強い眠気を感じておらず、自分の能力低下に気づいていなかった。
反証少人数の実験室研究で、必要な睡眠時間には個人差がある。全員が同じ速さで悪化するとは限らない。
doi:10.1093/sleep/26.2.117 ↗結果日本人を制限なく眠らせると習慣より約1時間長く眠り、自覚なく睡眠負債を抱えていた。「短い睡眠で平気」と思っていても実際は不足していることが多い。
反証少人数の実験室研究で、長く眠れたのは一時的な寝不足の解消という見方もできる。
doi:10.1038/srep35812 ↗人間は眠らずに生きられますか?
生きられません。眠れなくなる致死性家族性不眠症の患者は数か月から2年ほどで死に至り、ラットを完全に眠らせない実験でも約2〜3週間で死亡しました。睡眠は削れる贅沢ではなく、生存に必須の機能です。
ナポレオンやエジソンのように短時間睡眠で成功できますか?
それらの逸話の多くは誇張です。ナポレオンの睡眠時間には諸説あり、エジソンは日中に何度も昼寝をしていました。本当に短い睡眠で足りる体質は遺伝子で決まり、極めてまれです。
武井壮さんのような「45分睡眠を3回」の分割睡眠はまねできますか?
おすすめできません。これは本人の体験談で、査読を経た研究の裏づけはありません。レム睡眠を45分に圧縮できることは確認されておらず、本人も疲れたときは8時間眠ると語っています。
「自分は寝なくても平気」は本当ですか?
多くは思い込みです。睡眠を制限すると能力は確実に落ちますが、本人はその低下に気づきにくくなります。「平気」という感覚は、回復した証拠ではなく低下に慣れた証拠であることが多いのです。
訓練すれば睡眠時間を減らせますか?
減らせません。短時間睡眠の体質は生まれつきの遺伝子で決まっています。睡眠を削る訓練は睡眠負債を溜めるだけで、集中力・脳・免疫をむしばみます。